今年に入って、病院に通うのをやめた。
回復したからなのか、治すことを諦めたからなのか
単に通うのが面倒になっただけかもしれない。
家族に心配をかけたくなくて 成人するまでは病院には行かないと決め、気が狂いそうになる中騙し騙しやってきたそのツケはたかが数ヶ月の服薬や気の持ちようで精算できるはずもなく、わたしの中では しにたがりがすっかりあぐらをかいて座り込んでしまった。彼はいつでも、まるでそこに居るのが当たり前みたいな顔をしている。
生きることは 死なないことだと思っていたけど、ひょっとして二つはほとんど同じなんじゃないかと思う。
どん底まで堕ちて、痛いところも痒いところも丸見えのすがたになって はじめてひとは「ひと」らしくなる。ただ生きているだけでは血も殺戮も見えない平和なこの国で 自分が「ひと」であると再認識するには、絶望するほかにない。
でもいつまでも絶望していてはいけない、それでは年齢とか、性別とか、わたしを構成する要素の一つ一つが報われない。
たまに溺れるほど人を愛したくなる、この気持ちに素直にならなければならない。
私たちは生きているだけで他人を傷つける代わりに
手に取るように、掬い取るように 愛することができる。
わたしは最低で、心底やさしい。