曖昧に

事実を組み立ててできた家ってそんなに頑丈なものだろうか?事実に基づいた気持ちなどは、事実じゃなくてどちらかっていうと気持ちなのに、ひとは根拠とかそういうものにばかり目を向けたがる。確証がないと不安で仕方がないのなら、そう教えてほしかった。

私からすると精神科医のいうことも、占い師のいうことも、社会のルールや常識も、ぜんぶ同じくらい曖昧で、不確定な要素でしかない。きっと正しくないけど、そう思う。どれを信じたいか選別することには疲れてしまったけど、何も信じなくなるくらいならと思い、全部少しずつ信じるようにしている。

しかしたまに、矛盾が生じる。全部を信じているんだから、当然だ。こういうとき、私は親切だから「矛盾してるよー」と言いふらして回るのだが、誰も聞いてくれない。私含め、皆自分のことしか考えていない。

というかそもそも自分の身に起きていることの理解もできていない癖に考えすぎた。まずは身辺調査が必要です。警官がなんか言ってる。

わたしは健康と不健康を行ったり来たりしているようで、じつはずっと不健康です、みたいなことをやっているそうだ。医者が言ってた。でもすぐに良くなるらしい。神社のおみくじが言ってた。大事には至らないって。占い師も言ってた。わたしは、私はどう思っている?警官が身辺調査を行いましたが、自分に対する自分の感情だけは、発見されませんでした。

夜中に明るくて騒がしい街を歩くのは、安心したいからなのか。この中ではわたしはまだ正常だと確認したいのか。生きてさえいればそれでいいって、ハードルをまた一つ下げて、今度は仕事も辞めるのか。追い込み追い込み、やめようね。美味しいものでも食べに行こう。