魔法

哀しみの根源を飼って、幸せになりたい。

心に空いた大きな穴を抱きしめて、世界の何よりも信用している。

いつかこの気持ちを完成された表現にしたいと思っていたのに、とうとう私には書けなかった。

「とうとう書けなかった」と書くことでしか、伝える手段を思いつかなかった。

このかわいいかわいいからだの中の、足らなさ。きっとお腹の中にある、なにもない空洞。

 

最近の私にはおおきな変化があったりもして、書くことは他にたくさんあるはずなのに、気づけば結局同じことばかり書いている。その方がいい。それがうれしい。

いまを、いつまでも忘れませんように。

薬を噛んだら、苦いあじがした。

造作もない

 

風呂の湯に頭から突っ込んだ。

ほとんど衝動だった。

途中で全裸はいやだと思い直して、やめた。

 

そのあとは脱衣所でバスタオルだけかぶって、しばらく土下座の体勢でいた。なにをやっているんだろうと思った。上の階から聞こえるうめき声に吐きそうだった。

そのときのわたしには立ち上がることも、服を着ることもむずかしかった。臆病な自分が突然しのうとするなどしんじられない。

だれかに連絡をとろうとはまったく思わなかった。これは自分の問題で、他人に干渉される部分じゃない。わたしは思っているよりもひとりで生きている。やっぱりひとは、ひとりで生き死にするんだ。

わたしは、間違ってなんかいない。

 

浅い呼吸


会社を辞めます。こんな簡単な言葉がどうしていつまでも言えないんだろう。

これ以上、迷惑をかけられません。

これ以上、わたしは、

わたしは。

 

恥ずかしい話だけれど私はこれまで、自分はちょっと人より優れているんじゃないかと本気で思っていた。

暑いとか寒いとか苦しいとか、そういったことにも敏感でいて、それが正しいと。

でも私が思っていたより社会はずっと広くて、理不尽で、人が多くて、

私はちっとも可哀想なんかじゃなかった。

被害者面して生きていたいだけだった。

ハンデを負ってるふりで、今も誰かに許してもらおうとしている。

 

思い返せば自分は最初からそういう節があったと思う。

どこかで他人を見下している。


それなのに他人と話をしていないと、仕事が捗っていないと、執筆をしていないと人のかたちを保てなくなるほど臆病なのだから、たちが悪い。

自分を直視するのはいつでも、鋭く痛んでびりびりするんだ。

 

よくみて、さわって、たしかめて。

痺れてきた頃に、期待させるような

 

そんなこと、ばっかりだ。

 

やさしく殴って

 

その場の幸せだけ見て歩いてきた

だからこんなことになったんだわ、

 

何してたってちょっとだけ寂しいのは自分勝手に生きてきた証拠で、

他人を責めたところで気が晴れないのはわかってるけど、思いきり責めて誰かにとって最低になりたかった

私たちに普通は不自由すぎたね

 

もう二度と、二度とない偶然

そんなことばっかりで眩しくて、うっかりしんでしまいそうになる

あと何回 最初と最後を繰り返さないといけないんだろう

あと何回 振り返ることを堪えなくちゃいけないんだろう

喉が締まる

 

人のこころを盗み見するような生き方はもうしたくない

好き を無駄遣いしたい、振り撒きたい

そうしたらこんどこそ最低と思ってよ

 

殴られた衝撃

涙も引っ込むくらいの大怪我

病気も忘れるほどの振盪

虚しさに打ち勝つような暴力で

救ってほしい

 

四月になったら、職場の仲間の半分以上が入れ替わる、去年の春もそうだった。

入って間もないうちに先輩が誰もいなくなった。私はまだ分からないことだらけだったのに(今もだが)突然教える立場になってしまって、うまい教え方を模索する暇もなく必死にやってたら、もう一年が経っていた。

その時の後輩たちもいなくなってしまうらしい。

 

そうしたら、私がバイトから社員になるまでのことを知らない子たちばかりになる。この子は私のことをはじめから社員と認識するんだと、面接に立ち会って名刺を渡すたびに思う。

当然なんだけど、それが寂しい。

 

背負わなきゃいけない責任も違うし、それぞれ行くべき場所があるだろうから引き止めるほど執着しないけど、本当はずっと誰かの前で泣きたかった。

此処で出会いと別れを繰り返していくこと、私全然平気じゃないよって、知って欲しかった。

 

泣かせてくれてありがとう。

 

人と心のやり取りをしてもいつも与えるだけで返ってこなくて、どんどん自分がすり減るから辞めたいって何回も思ったけど、辞めなくてよかった。

誰かの救いになることがこんなに嬉しいなんて知らなかったよ。

 

私は弱くて寂しがりだからすぐ傷ついてメソメソするけど、四月から出会う人にとっていい上司でいたいから、もう少しがんばります。

 

東京は桜が綺麗です。わすれないでね。

満ち足りた栄養

今年に入って、病院に通うのをやめた。

回復したからなのか、治すことを諦めたからなのか

単に通うのが面倒になっただけかもしれない。

 

家族に心配をかけたくなくて 成人するまでは病院には行かないと決め、気が狂いそうになる中騙し騙しやってきたそのツケはたかが数ヶ月の服薬や気の持ちようで精算できるはずもなく、わたしの中では しにたがりがすっかりあぐらをかいて座り込んでしまった。彼はいつでも、まるでそこに居るのが当たり前みたいな顔をしている。

 

生きることは 死なないことだと思っていたけど、ひょっとして二つはほとんど同じなんじゃないかと思う。

どん底まで堕ちて、痛いところも痒いところも丸見えのすがたになって はじめてひとは「ひと」らしくなる。ただ生きているだけでは血も殺戮も見えない平和なこの国で 自分が「ひと」であると再認識するには、絶望するほかにない。

 

でもいつまでも絶望していてはいけない、それでは年齢とか、性別とか、わたしを構成する要素の一つ一つが報われない。

たまに溺れるほど人を愛したくなる、この気持ちに素直にならなければならない。

 

私たちは生きているだけで他人を傷つける代わりに

手に取るように、掬い取るように 愛することができる。

 

わたしは最低で、心底やさしい。

かわいそうに


海の中に花が咲かないのって、天は二物を与えず みたいなことなんだろうか。
もし海に花がたくさん咲いたら あまりに美しくて、ひとは無理にでもそこに移住しようと考えたかもしれない。

わたしはとっくに海に身投げしているかもしれない。

自分の浅はかさに笑えてくる。

 

昨年の夏、突然どうしても水族館に行きたくなり、ひとりで押上まで行って年間パスポートを買った。それからわたしは時間も人の目も気にせずにいくらでも魚を眺めることができる。

 

魚は泳ぐ

好きなひとたちを思う

ひどく寂しそうな顔に、気づかないふりでやり過ごす

魚は泳ぐ

わたしはまたひとを傷つける

最低に成り下がっても生活は、何も変わらない

魚は泳ぐ